This is a Japanese translation of “Week 2: What do you value?”
今週は、「効果的利他主義の発想の源泉となっている倫理的立場をいくつか検討し」「倫理的規範の変化の歴史が、よいことを行う方法にどのように影響を与えるか?」そして「私たち自身の価値観とEAが使うツールがどのように調和するのか?」について考えていきます。
効果的利他主義者たちは、よいことを行う際の不偏性を擁護することはしばしばあります。例えば、1000km遠くにいる人を助けるよりもすぐ隣の人の方が助ける価値があると考える内在的に道徳的な理由はないと多くの効果的利他主義者たちが主張します(ただし、他に理由があれば、どちらかを助けるほうが、より価値があると言えるかもしれません。例えば、遠くにいるひとと近くにいる人のどちらか一方について、特定の状況で、彼らを助けるより優れた機会をあなたが得ている場合です。)不偏的でありたいと思う観点は空間や時間、種族間など多岐に及びます。「どの観点に関して不偏的であるべきか?」を決めることで、自分が取り組みたい課題が大きく変わるかもしれないので、この問いには多くの注意を払う価値があります。例えば、工場式畜産農場で飼育されている動物の生活環境を改善することを優先するかどうかは、動物がどれだけの倫理的配慮に値するのかと考えるかによって大きく変わってきます。
「私たちの倫理観が、よいことを行う方法に大きな影響を与えることを知っています。しかし、現在の倫理観がよいものであり、将来にもつであろう倫理観とも調和していると信じ切ることはできないでしょう。社会の倫理観はこれまでの歴史の中で大きく変化してきましたし、今後も変化すると考えられるからです。私たちは、今持っている倫理観に沿って行動すべきなのでしょうか。それとも、自分の道徳観のどこに間違いがあるのか、あるいはどう将来的に変わる可能性があるのかを考え、それを自分の行動に反映させるべきなのでしょうか。
💡 第3週の練習問題の中には、第2週のディスカッションセッション終了後すぐに開始する必要のあるものがあります。
❗ 第3週の練習問題は、第2週のディスカッションセッション終了後すぐに始めてください。
この練習問題では、不偏性という考え方と、それをどのような場面で適用するのがよいかを探っていきます。「様々な集団が存在する中で、それぞれに対してどれだけの道徳的地位を与えるべきなのか?」つまり「利他的な人がどれだけその集団を助けたいと思うべきか?」を決める法廷に立っていると想像してみてください。
その法廷は、ある集団と別の集団のどちらを助けるのが物理的に簡単かについてはまだ気にしていません(それは後で考えることです)。その法廷で尋ねられるのは単に、ある集団と別の集団のどちらを助けるのも同じくらい簡単だとしたら、私たちはどれだけその集団を助けたいと考えるのかということだけです。自分ができることと自分の価値観を切り離して考えることは、いざ実際に行動するときに、自分の価値観に沿った行動をとりやすくするために有効です。
例えば、私たちは動物が道徳的地位をもつに値すると考えるかもしれませんが、だからといって、動物を助けることは非常に難しい(その横に並ぶ機会よりも難しい)かもしれないので、それを優先するとは限りません。
まずは、自分が常に不偏的であることを目指す側の弁護士で、そのグループのメンバーが同等の道徳的配慮を受けるに値することを支持する最も強い論拠を示すところを想像してみてください。次に、その反対側に立って、道徳的配慮の対象をこのグループを含むまでに拡大することに反論するとしましょう。不偏性を主張する方が簡単な場合もあれば、それに対する反対を主張する方が簡単な場合もあると思いますが、それでも、双方の立場を支持する最良の議論を検討する価値はあります。
以下のカテゴリーに目を通し、それぞれのグループのメンバーが同等の道徳的配慮を受ける価値があることに賛成する論拠と反対する論拠をすべて書き出してください。1つのカテゴリーにつき10分程度、賛成、反対の各論に5分程度ずつ費やすようにしてください。
件の法廷は、自分が住む地域に住む人を助ける場合と、何千キロも離れた場所にいる人を助ける場合とで、不偏的であるべきか否かを判断しようとしています。一方の人を助けることがどれほど簡単であるかをまだ検討していないことを思い出してください。ここでは、一方の人を助けることも他方の人を助けることも同じくらい簡単であると仮定してください。
件の法廷は、現在生きている人を助けることと、何千年も先の未来に生きている人を助けることの間で、不偏的であるべきかを判断しようとしています。一方の人を助けることがどれほど簡単であるかをまだ考えていないことを忘れずに、ここでは、一方の人を助けることも他方の人を助けることも同じくらい簡単であると仮定してください。
件の法廷は、人間を助けることと哺乳類や鳥を助けることの間で不偏的であるべきかどうかを判断しようとしています。ある個体と別の個体のどちらを助けるのが簡単かについてはまだ考えていないことを忘れずに、ここでは、一方を助けることも他方を助けるのも同じくらい簡単であると仮定してください。
件の法廷は、人間を助けることと、人間のように振る舞う心のシミュレーションを助けることの間で、不偏的であるべきかを判断しようとしています。一方を助けることも他方を助けることも同じくらい簡単であると仮定して、ここでは、一方を助けることがどれほど簡単であるかをまだ検討していないことを忘れないでください。
件の法廷は、人間を助けることと植物を助けることの間で不偏的であるべきかどうかを判断しようとしています。一方を助けることも他方を助けることも同じくらい簡単であると仮定して、ここでは、一方を助けることがどれほど簡単であるかをまだ検討していないことを忘れないでください。
件の法廷は、人間を助けることとテーブルを助けることの間で不偏的であるべきかどうかを判断しようとしています。一方を助けることも他方を助けることも同じくらい簡単であると仮定して、ここでは、一方を助けることがどれほど簡単であるかをまだ検討していないことを忘れないでください。
効果的利他主義は、可能な限り世界を善くするために存在しています。そのため、(当然のことながら)功利主義や他の形の帰結主義としばしば関連付けられてきました。もちろん、効果的利他主義者たちにとって結果が重要な考慮事項であることは否定できませんが、効果的利他主義そのものは、いかなる規範的なコミットメントも持っていないことを心に留めておくことが重要です。さらに言えば、帰結主義を独断的に信じるべきではない理論的かつ/またはプラグマティックな理由があるかもしれません。